ありがとう、阿部慎之助 巨人軍最高の捕手。

巨人の阿部慎之助選手が引退した。

 

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※私がこれを書いたのは阿部選手の引退特別試合直後で、今となってはまた別の感情が出てきているのと、当時興奮のまま書いたせいであまりにも拙い文章になってしまっていたので迷いましたが、なんとなく備忘録として投稿することにしました。戯言と思ってくだされば幸いです。

 

 

同世代の多くにとってそうだと思うが、私にとって読売巨人軍阿部慎之助のチームだった。

私に関して言えば、阿部慎之助は野球そのものの象徴だったのかもしれない。

今回彼が引退するにあたって、阿部選手にまつわる私の備忘録をここに示そうと思う。

 

気づいたときには、野球が好きだった。小学1年生の頃、松井秀喜選手が好きだったために、弟が生まれると聞いて「マツイという名前をつけたい!」と駄々をこね、母を困らせたことを覚えている。もっとも、ただ雰囲気でそう言っていただけで、野球のルールなどほとんど分かっていない状態だった。

 

本格的に野球にハマったのは、WBCが開催された2006年前後だ。学校を休みがちだった私は、休むたびに祖父母の家に預けられ、祖父とメジャーリーグの中継を見ていた。そうしてルールを覚え、新聞のスポーツ面を見ていると、なぜかは覚えていないがごく自然に巨人を応援している自分がいた。(なお、この年の巨人は非常に弱く、首位と20ゲーム以上の差をつけられ4位だった気がする。違ったらすまん)

 

その頃、阿部選手は既にチームの中核を担っていた。既に20代後半、若手とは言えない年齢だ。チームに欠かせない扇の要、そして打席での期待値が高いバッター。その頃の私には、捕手の守備負担の大きさなど当然理解できていなかったのだが、ピッチャーが投げたボールが阿部選手のミットに吸い込まれていくさまや、ラジオから流れる阿部慎之助のコールに胸を躍らせていた。それから数年間、2007年からはキャプテンとしてチームを引っ張りながら、ガタイの大きな一流選手たち(この頃から2012年あたりまでの巨人は今とは比べ物にならないほど補強組が活躍しており、まさに大正義巨人軍といえた)が並ぶオーダーに名を連ね、ピッチャーを支え、先導する。子どもながらに、彼が打席に立つと毎回期待していたし、リードや壁性能に関しても絶大な信頼を寄せていた。小笠原、李、ラミレス、谷、二岡、鈴木、木村、内海、杉内と、憧れた選手は数多いが、存在感という点で阿部選手の右に出る選手はいなかった。

 

自分の中の巨人ファン、そして阿部選手のファンというアイデンティティに大きく影響するため、ここで私が育った街や家庭について説明する。簡潔に言えば、私の故郷は街をあげてゴリっゴリのカープファンだ。そして、アンチ巨人である。(私の家にはテレビがないのだが)祖父母の家に夕方行けばかなりの確率でカープの試合が流れていたし、商店街やそのへんのスーパーでカープの音楽が流れている。本屋にはカープコーナー、巨人ファンを公言しようものなら金満球団と(なぜか私が)糾弾される。祖父母や母は巨人が負けるたびに大喜びしていた。そんなところで育った。

 

巨人の試合をテレビで見られる日は多くなかった。ほとんどがカープの中継だし、そもそも祖父母にチャンネルを変えられる。そんな中で、ラジオや新聞は私のオアシスになった。はじめは特定の選手ではなく球団そのものを応援していたが、感情的になりやすい子どもだったので、球団において絶対的な信頼感のある阿部選手の応援にはわかりやすく熱が入ったし、どんどん彼のことが好きになっていった。ラジオを聞きながら大好きな阿部選手の勇姿を想像し、次の日の新聞でその姿を確認するのが日課だった。阿部選手が活躍して勝った試合の新聞はこっそり切り抜いていたし、勝った相手がカープだと家庭内で非常に誇らしく感じていた。

 

土地柄、巨人ファンを公言すると白い目で見られる。それは学校でも同じである。ほとんどがカープファンで、数えるほどのホークスファンがいるという環境だ。巨人ファンは当然異端だった。それでも巨人が好きだった。その頃は思い至りもしなかったが、私が心変わりしやすい子どもの時期にありながら、頑なに周囲のカープファンやホークスファンからの誘惑を断り、一途に巨人が好きだったのは、阿部選手の存在があったからだろう。考えてみれば、野球賭博問題の時をはじめとして、どれだけ意志が揺らいだときであっても、阿部選手へ当時の私が寄せていた絶大な信頼感と、新聞を切り抜くほどの情熱が強い支柱となって折れなかったのである。

 

忘れもしない、高校1年生の春のことだ。母親が突然、野球観戦に行こうと言い出した。マツダスタジアムの一番安い内野席。 周りはカープファンだらけというが、観戦グッズを一切持っておらず、そもそも観戦歴のない私には関係のない話だった。ずっと行きたいと言い続け、そのたびに却下されてきた野球観戦へ行ける。観戦は8月だったが、数か月前からわくわくしていた。選手から遠い席だとはわかっていたけれど、当時携帯電話すら持っていなかった私は、小学校の卒業祝いで貰ったデジタルカメラメモリーカードを新調して、その日を心待ちにしていた。

そして、1回表。阿部選手は、4番キャッチャーで先発出場、3番の村田が塁に出たため、さっそく打席が回ってくる。テレビや新聞でずっと見続けていた、あこがれの選手の登場に興奮しながら、野球のルールを知らない妹に、4番は1番強い打者なんだよ、と雑な説明をする。彼がバッターボックスに入る前から動画を撮っていた。阿部選手の豪快な一振りに快音が響き、ボールがスタンドへ運ばれる。まさか、あこがれの選手を現地で応援する初打席で、彼のホームランを見られるとは。興奮し、ぶれてしまった映像は今でも私の宝物だ。

その時の先発のバリントンと相性が良かったのか、その日の阿部選手は6回表の第3打席でもソロホームランを放った。試合自体も、好投を続けていた杉内選手が中盤に打ち込まれて勝ち越しを許し、9回にロペスが起死回生の同点ホームランを放ちそのまま同点、という面白い内容だった。

初観戦を経て、巨人や阿部選手がもっと好きになったことは言うまでもないだろう。

 

捕手で4番でキャプテン。阿部選手の伝説は、様々な数字や獲得タイトル、ゴールデングラブ賞ベストナインの選出歴から見て華々しい。後世、この時期の野球を全く知らない野球ファンでさえ、阿部選手が打ち立てた数々の記録さえ見れば、どれだけ偉大な選手であったかはすぐにわかるだろう。しかし、この時代に野球を見て、阿部選手のプレーをリアルタイムで楽しみ、感嘆できたことは私にとって永遠の誇りである。

 

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阿部選手が引退を決意したのは、今年のセントラル・リーグ優勝翌日のこと。あの雨が降る神宮で原監督と話したらしい。

私は、優勝直後の2連戦を見に行っていた。ビールかけの二日酔いか、雨の中ボコボコに打たれる巨人軍も、翌日阿部と大城の連続ホームラン、そして新しい4番・岡本の完璧なホームランも目の当たりにした。2日目はバックネット裏の席で、大好きな阿部選手のホームランを迫力満点の席から見ることができたと、相当はしゃいでいた。

6月に阿部選手が通算400号のホームランを打ったとき、もしかしたらこれでやめるかもしれない、と思ってしまった。しかし、7月頃に阿部選手の現役続行の記事を見て、その可能性は無意識に頭の中から消し去っていた。捕手はもうやらないかもしれないけれど、来年からは代打で魅せる彼のプレーを見ることができると信じていた。

だから、あの日神宮球場のバックネット裏で阿部選手のホームランを見たとき、無邪気にはしゃぎながらタオルを振ることしかできなかったのだ。もっと噛み締めて見守っていたかったという想いがある。彼自身は、きっと万感の想いを抱いてダイヤモンドを一周していたのだろう。

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阿部選手の引退を知ったときの感情は覚えていない。ショックというよりも焦りのような感情が一気にきたことを覚えている。幸いホーム最終戦のチケットを手に入れていたので、引退特別試合をただ目に焼き付けたいと思った。

引退特別試合のことも、ほとんど覚えていない。いつにもまして声を張り上げ、Septemberを熱唱し、千両役者である阿部がライトスタンドにストレートを叩き込んだときは絶叫した。今季引退したマシソンと阿部というレジェンドバッテリーも、澤村との握手も一生忘れない。

 

阿部選手にまつわる、私の思い出は以上の通りである。一方的にたくさんのものをいただいた。返すことはできやしないのだが、せめて、これから先監督としてチームを背負うであろう彼を応援し続けたい。

 

打席に立つだけで盛り上がる選手だった。単純に東京ドームに響き渡る慎之助コールを聞けなくなることは寂しい。

来年から阿部選手がいなくなった巨人をこれまでと同じように応援できるのか、それはこれまでになかったことだからわからない。しかし、阿部選手が巨人に残していったものは数え切れない。それらを例示する無粋なことはしないが、きっと来年以降も私たちファンを魅了し、多大な貢献をしてくれるだろう。だから、私は来シーズンが楽しみだ。

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阿部選手、お疲れ様!

そしてありがとう!

 

Do you remember 

the 21st night of September? 

Love was changing the minds of pretenders 

While chasing the clouds away 

 

アニメ「殺戮の天使」を観ました。

アニメ「殺戮の天使」を観ました。

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なんだこのアニメ。

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「殺戮の天使」を観ました。登場人物が全員サイコパスで戦慄しました。もともとフリーのホラゲとして非常に評価が高い作品ですし、数年前にプレイした記憶はあった(し某実況者の実況も見た)のですが、改めて映像化されたものを観ると、マジで気が狂ってますね。

「殺戮の天使」、またの名を「金満ビルと6人のサイコパス」、絶対にあなた好みのサイコパスがいると思うので、ホラーが大丈夫ならぜひ観てほしいです。私は11話あたりで挫折しかけましたが、友人と観ていたこともあり完走しました。まともな人間なのでグレイの心情が理解できないです。

以下、6人のサイコパスの紹介をしてみるので、殺戮の天使を知らない方はお好きなサイコパスを探してみてください。ネタバレに関して配慮はしていません。

最後に最終回の考察もしてみました。

 

「殺戮の天使」金満ビルに登場する6人のサイコパス

【殺戮の天使】B5Fの劇場型サイコパス【ダニー】

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あえてダニー先生(以下親しみを込めてダニカスと呼びます)をトップバッターにしました。個人的にダニカスみたいなサイコパスが1番苦手だからです。苦手なおかずは最初に食べる党に所属しているので…。

自分とレイ(の目)(と見せかけて母親)しか見えていない、異常なほどの執着と自己陶酔的な話し方、気味が悪いです。執着という点ではエディのそれと同じですが、どこまでも欲望に忠実で大袈裟なほどに自分本位なので、より粘着質なサイコパスになっているんだと思います。倫理観がズレているというよりも、ダニカスの中では圧倒的に自分だけが主人公だからこそ、何をやっても許されると思っている、そういう意味で劇場型のサイコパスだなと思いました。劇場型サイコパスは2次元ではあまり珍しくない存在ですが、みんな総じて無駄に知能が高くて厄介ですね。このタイプから知能を抜いたら、ただのおっちょこちょいで自己中なバカになってしまうので残当かもしれない。

ゲーム版を初めてプレイした時から、「絶対B5Fでダニカス死んでないだろ…」と思っていましたが、ものの見事に最後の最後まで厄介な悪役ポジションを貫いてくれました。生命力っていうか執念強すぎ、最後のほうとかゴキブリにしか見えなかった。「患者の死んだ目を見たいからカウンセラーになった」っていうのがまあもう狂ってるんですが、最期に幻覚を見てちょっとでも幸せな気持ちで死ぬことができたなら、この物語の中では幸福なほうなのかなと思いました。

レイの目だけに執着しているのはわかっているのですが、セリフだけ見ると壮絶なロリコン変態野郎ですね。

友人が「まさにcv櫻井孝宏」と言っていたのですが、そうなんですか?櫻井さんも大変だ。

 

 

【殺戮の天使】B2Fの神視点サイコパス【グレイ】

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前書きでも書きましたが、私はまともなので、グレイのことはマジで1ミリも理解できていません。シンプルに頭おかしくないですか???????

自分の理想のためには手段を選ばないし、世界を俯瞰して見た上で自分が道徳だと思っているタイプですかね?ダニカスと違って自分本位という訳でも、わかりやすく自己陶酔しているわけでもなく、真に自分が正しくて、やっていることも世界のためだと思っていて、他の人間の命に関心がない、世界観の前提があまりにも通常と異なる神視点のサイコパス。最後の最後まで何を考えているのか一切わかりませんでした。なんなら、頭が悪すぎてグレイが出てきたあたりから物語もあんまりわかっていません。

グレイの中では絶対的な世界観があり、その中に彼の基準での善悪が存在していて、それに忠実な人物なので、めちゃくちゃ頭おかしいのに紳士的に見えてしまうのが気持ち悪いポイントなのかなと思います。

全然関係ないけどどっからあんな金が出てくるんですかね。

 

【殺戮の天使】B4Fの盲目型サイコパス【エディ】

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エディは、ホラゲによくいる根本的な倫理観が狂っている天真爛漫なサイコパスでした。根本的に狂っているからこそ手のつけようがないのですが、なんか可愛いのでとても好きです。なお、ゲーム初見では、エディに追いかけられるところで焦りすぎて3回くらい死にました。シンプルに怖いです。

 自分の好きなものに盲目的で、暗い場所に墓を作りまくったり、ひとめぼれした女の子の墓を用意したり、わかりやすくストーカー気質だったり、欲望に忠実で、このアニメに出てくる6人のサイコパスの中では最も一般的に理解しやすいんじゃないかなと思います。コンパクトに言えば、盲目的な対象以外の性質はほとんどキモオタと同じなので、キモオタ的には理解しやすかったです。

姿が小さな男の子で本当によかった。これがおっさんだったら普通にやばいですよ。

なんでこのビルに連れてこられたのかめちゃくちゃ気になるのですが、小説版とかでは理由が明かされているのでしょうか。

死に方は普通にかわいそうでした。人を殺すのに抵抗がない時点で擁護はできないですけど、レイが死にたがってるのを知っててああいう行動に出て、結果フラれて、本人からすれば寝取られた相手に殺されるって…。

自殺者と殺された者の墓を分けていることから、レイと同じ宗教を信じていることがわかりますが、レイのように罪の意識を持たなかったところに、エディの盲目的な部分が表れているのかなと思います。

 

【殺戮の天使】B3Fの過激派サイコパス【キャシー】

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キャシーお姉さまに関しては、手段がいきすぎているサディスティック女王様という感じで、まあ人を殺すのに抵抗がない時点で普通に考えて異常ですが、このビルを外界と切り離して独自のルールがあることを勘案すると潜在的な実在性は高いんじゃないかなと思います。というか、中世のヨーロッパに確実にいた。

ほぼ不特定多数の人の苦痛を見ることが好きで、自分が絶対的な正義であり、精神攻撃やら肉体攻撃やらを遠隔でしかけてくるめちゃくちゃオーソドックスな頭脳派の悪役。絵に描いたようなサディスティックサイコパスで、正直なところ、独特な異常性は感じられませんでした。簡単に言うと典型的ないじめっ子タイプなので、嫌いな人は本当に嫌いなキャラクターだと思います。

幻覚とはいえ、魔女裁判のくだりでは性格の悪さが全面的に押しだされていてとてもおもしろかったです。平気で嘘をつくところもテンプレで、ある意味裏がなくて私は好きです。一般的にサイコパスといっておぞましく思うような、何を考えているのかわからないゆえにぞくぞくとする性質がなく、ねじ曲がった性格のキャラクターばかり出てくる「殺戮の天使」の中ではむしろ素直で好感が持てました。

なお、死に方は個人的には最も悲惨だと思います。プライドがべらぼうに高く性格の悪い悪役がプライドをへし折られながら死ぬという、死に方まで見事にテンプレなキャシーお姉さまでしたが、個人的にこういった悪役は大好きなので、ちょっと胸糞が悪かった。

本編とは関係ないですが、「殺戮の天使」の公式YouTubeアカウントでは、キャシーお姉さまがバーチャルYouTuberとして活躍していらっしゃいます。非常に気まぐれで自分勝手に「殺戮の天使」を宣伝なさっていて、とても面白いのでぜひご覧になってください。キャシーお姉さまに飼い殺されたくなること間違いなし。

 

【殺戮の天使】B6Fの快楽型サイコパス【ザック】

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ザックは、嬉しそうにしている人間を見ると殺してしまう、どこか殺人を楽しんでいる描写があるなど、快楽殺人を犯して、罪の意識をいっさい感じないタイプのサイコパスです。

B6Fにいたころは獲物を見つければ追いかけてきて追いつかれたら即死、見つからなければ(知能が低いので)割とヌルゲーという、「殺戮の天使」でいう「生贄」にとっては比較的切り抜けやすい、脱出のための実質最下層にふさわしい番人なのかなと思います。

物語が進むごとに、たぶん底の底の部分では優しい人間で、複雑な過去によってねじ曲がってしまったのだなとわかってくるキャラクターです。「殺戮の天使」の他のキャラクターのような真正のサイコパスではなく、客観的に見て同情してしまう部分もあり、優しさやかっこよさも兼ね揃えていました。嘘をつけないという点はサイコパスの定義から大きく外れているし、途中からはこの物語の主人公でした。

B5Fで衝動的にダニカスを斬ってしまうところとか、B4Fで墓をとりあえず壊しまくるところとか、B3Fで電気椅子に自ら座るところとか、原作ゲームのepisode2序盤くらいまでは印象的にマジでただの体力があるバカだったので、最後までプレイするとずいぶん印象が変わった、要するに作中での成長が甚だしいキャラクターでした。

暗殺教室」のカルマしかり、「青の祓魔師」の燐しかり、「とある魔術の禁書目録」の一方通行しかり、こういう、暴力的なのに本性がたぶん優しくて、世間一般から跳ね除けられたばかりに捻くれたかんじのキャラクターは本当に岡本さんの声が似合うと思いました。なんなら、原作ゲームをプレイした時から声がつくなら岡本さんだろうなと思っていたので、アニメ化しても本当にしっくりきました。

最後、レイを助けるために警察に投降したところは正直よくわかりません。あの後改めてレイを殺しに来たのなら、あそこで自分が捕まえられてまで彼女を助ける必要はないと思うのですが、それほど彼女の笑顔が見たかったということでしょうか。

 

【殺戮の天使】B1Fの自閉型サイコパス【レイ】

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「殺戮の天使」の中で、個人的には最も恐怖を感じたサイコパスです。感情がないように見えるために何を考えているかわからない、静かで欲求がないように見えて目的のために人を殺めようと一切罪の意識がなく、さらには対象を殺すことによって自分のものにするという行為に疑問を感じていない。神を信じていて、聖書を読んだことで罪の意識が芽生え、死にたいと考えているわりに、自分が死ぬために新たな罪を犯すことには抵抗がない、あまりにも自分勝手で残酷で、矛盾を抱えた存在です。

レイが抱えている数々の矛盾は、それも含めて彼女の性格なのか、単にキャラクターがぶれているのかよくわかりませんが、この意味の分からない存在であるレイがプレイアブルキャラクターであることで、ホラゲとしての「殺戮の天使」は数段面白くなっていたのではないかなと思います。

自分が興味のあること以外は極端にどうでもいいと思ってそう。

レイに関しては、グレイと同じく、世界観自体が独特なサイコパスなうえに、ザックと行動していくうちに多少考え方が変化していったようなので、11話くらい以降の彼女の性質は全く理解できていません。ただ、ザックのように根は優しくて、育った環境のせいでおかしくなってしまったんじゃないかとか、グレイのように絶対的な正義が自分の中で確立されているんじゃないかとか、そういうことは一切感じませんでした。

レイの声を担当しているちっすーのことは前から別作品で知っていたのですが、レイとはほぼ真逆のキャラクターを演じていらっしゃったので、全く印象の異なる声を出せることに驚きました。声優さんって凄い。

 

【殺戮の天使】最終回考察

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「殺戮の天使」の最終回に関しては、あの後レイは望み通りザックに殺されたとか、ザックと一緒に保護施設を抜け出してひっそりと暮らしているとか、いろいろな解釈の仕方があると思います。

個人的には、レイは1人で殺されてはいないのではないかなと思っています。小説版に、あの後警察が2人を探したがまだ見つかっていないという記述があるようですが、ザックの知能(脱獄したときもすぐ見つかっていた)や時間がないという言葉から考えて、ザック1人だと逃げ切ることは不可能でしょう。これまでの犯行を考えても、死体は基本放置のザックがレイの死体を隠したとは考えにくいですし、2人とも見つかっていないのであれば、レイだけを殺したというルートはないのでは、という考えです。なお、衝動的な快楽殺人を犯すザックがそれ以降一切人を殺さずに生きられたならばそれはレイの影響でしょうが、なんとなくそれも想像できないですね。レイが始末するところも想像できませんし、心中はあり得ると思います。

希望としてはレイと一緒に人を殺さず暮らしていてほしいなと思いますが、嘘をつかないザックがわざわざレイを迎えに来てまで誓いを果たさずにいますかね。ただ、ザックのレイに対する感情は相当特別なものになっていたと思うし、レイからしても、ザックの死刑判決に絶望していたようで、そこには自分が死にたいからという初期のレイの感情以外のものがあったと思いたいです。

窓の内側に血が滴っていたのは、笑顔のレイと一緒に窓から飛び降りたことと、その前に聞こえたカウンセラーの悲鳴から考えて返り血なんじゃないかと思うのですが、単純すぎる考えでしょうか。

 

フリーホラーゲーム「殺戮の天使」をぜひプレイしてみてください!

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以上、アニメ「殺戮の天使」の感想でした。小説版やコミカライズもあるようなので、いつか読んでみようかなと思います。

個人的には、アニメ版よりも原作のゲームの方が、恐ろしかったですし、いろいろと想像しがいがあって面白かったので、ぜひそちらをプレイしてみてほしいです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

ありがとう、金曜日のドラえもん

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2019年9月6日金曜日は、金曜日7時の枠でドラえもんが放送される、いわゆる「ドラ金」最後の日だ。

 

金曜日の夜、「明日から2日間は休みだ!」という解放感を感じつつ、大好きなドラえもんを見るのが1週間に1度の楽しみだった。

私の家庭は特に自衛隊とは関係ないが、金曜日はなぜかカレーの日が多かった。大好きなおばあちゃんが作ってくれた美味しいカレーを食べながらドラえもんを見るのは、個人的にはこども時代の象徴でもある。

高校、大学と、土日に遊んでいるわけにもいかないような年になってからも、時折金曜日の夜の予定を空けては、ノスタルジーに浸っていた。

 

ドラえもんは、おとなにもこどもにも分け隔てなく、夢や希望を与えてくれる。ドラえもんが教えてくれる明るくて優しい未来は、ときには私たちがそれを目指す原動力にもなる。これから先も、世界中にそれを伝えきるまで、ずっとドラえもんを応援し続けようと思っている。

 

最後のドラ金は、ドラえもんの誕生日スペシャルだ。今日は、これまでたくさんの金曜日にそうしたように、少し早めに仕事を切り上げて、お祝いにどら焼きを買って、カレーを作って、最後の「ドラ金」を楽しみつつ、ドラえもんの誕生日を祝おう。

 

繰り返すが、私にとって「金曜日のドラえもん」は精神的な故郷だ。「土曜日のドラえもん」が、これからのこどもたちにそんな感情を与えてくれる存在になることを願ってやまない。

『映画ドラえもん のび太の月面探査記』感想ー想像力は未来だ!

『映画ドラえもん のび太の月面探査記』感想 

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前回はネタバレなしの『月面探査記』感想を書きましたが、今回はガンガンネタバレしていきますので、まだ今年の映画を見ていない、という方はお気をつけください。小説版のネタバレもしちゃいますよ!辻村深月さんの原作、とても素敵なので、ぜひみなさん読んでくださいね。

 

追記 この感想文は「月面探査記」をまだ数回くらいしか見ていない時点で書いたものであり、後から読み返してみると自分でも「ん?」と思えるような文章でした。このブログを訪れてくださった方のほとんどが最後の終わり方についての解釈を目当てにしていらっしゃると思うので、この作品を十数回見た今、先に結論を書いておきます。

最後のシーンで、なぜルカくんたちは地球に来ないのか?という疑問が浮かんでいる方が多くいらっしゃるようですが、私は次のように考えています。

 

エスパルたちは、「異説クラブメンバーズバッジ」の効力で、不老不死の力を捨て、普通に成長できるようになりました。これは本来のエスパルではありません。本来のルカやルナ、アルではなくなっているのです。簡潔にいうと、異説の存在、つまり想像上の生き物になってしまったわけです。もちろん、異説クラブメンバーズバッジを持っていない普通の人間には見ることができません。だから月にとどまるのは当然なんです。そして、最後に彼らの平和を守るため、のび太たちは異説クラブメンバーズバッジを捨てました。ルカたちが願いをかけた異説クラブメンバーズバッジは地球上に存在しないのと同じことになってしまいました。のび太たちでさえ、もう二度と彼らに会ったり干渉したりすることはできないのです。二度と会えないけれど、友達だから協力したい。最後のシーンはそんな切ないシーンのはずですが、のび太たちは自分たちの想像力を知っています。ルカたちが確かに月に暮らしていたことももちろん一生忘れないでしょう。だから、のび太たちは月を見るたびに、ルカやルナ、アルの事を想像することができるのです。

 

あと、意外と作中でしずかちゃんが宇宙空間を異説クラブメンバーズバッジなしで歩けてるのはなぜ?という疑問を見かけますが、テキオー灯を直前に使用しているので当然のことです。

 

(※あとこれはあくまでも個人の感想であり、考察のような高尚なものではありません。まだ4回しか劇場で見てない⋅⋅⋅。それに、この作品は長年「ドラえもん」を読んできた人にこそ刺さると思いますので、まだ人生すら20年ちょっとの自分が語るなんてなんだか恐れ多いです。ていうか正直思ったことを書き散らしてるだけなので、まとまりもありませんが、よろしければお進みください。)

『映画ドラえもん のび太の月面探査記』は、想像力(未来)と友情の物語

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「想像力は未来だ!」

 

 

終盤のドラえもんのセリフですが、今回の映画のテーマはここに凝縮されていたように思います。

『月面探査記』は、「月にはうさぎが住んでいる」というのび太(と、昔の人たち)の想像から物語がはじまり、人々が唱えてきた異説という想像を叶える「異説クラブメンバーズバッジ」によって話が展開していきます。

また、ルカとのび太たちを結んだのはのび太の想像力であり(のび太さんの想像力がこの出会いをつくったのよ!と語るしずかちゃん、本物の女神でしたね。)、1000年前のかぐや星の人々が「想像を諦めた」ことによって生まれた"破壊"が敵として立ちはだかりました。

そして、最後にエスパルたちの願いを叶えたのも、かぐや星の人々の異説⋅⋅⋅想像力でした。

 

想像力が出会いを呼び、未来をつくる。『月面探査記』の冒頭で月面探査機がアルを発見しますが、その月面探査機の存在でさえ、人類の想像から生まれてきたものです。

 

「人類の歴史は、異説が切り拓いてきたようなものだよ」

「いつでも会えるよ。僕らには想像力があるんだから」

「いつか月と地球が当たり前に行き来できるその日まで、さようなら」

 

これらは全て『月面探査記』におけるドラえもんまたはのび太のセリフです。

 

今回ののび太、かっこよかったですね!今回、季節設定が秋でしたが、何か関係しているのでしょうか?普段の大長編は春とか夏が多い気がしますし、秋ということはのび太たちも少し成長したところが描かれているのかなあと思います。大長編はいつもそれまでの大長編の小ネタが仕込まれてますし、同じ世界線ですよね?(今回は宝島のボトルシップが置かれてましたね。)これについては完全な憶測ですが。

 

ドラえもん』の友情観

かなり話が脱線してしまいました。

『月面探査記』にはもう1つ大きなテーマがあるのではないかと思っています。それは「友情」です。

作中でのび太がルカと「友達」について語るシーン、(月面レースのところです。)とてもよかったですね。「友達は⋅⋅⋅仲間だよ。友達が悲しいと悲しいし、嬉しいと嬉しい。(うろ覚えです、すいません。)ただ友達というだけで、助けていい理由にだってなるんだ」。のび太らしい言葉で、かなりジーンときました。

のび太の唯一無二の親友といえば⋅⋅⋅ドラえもんです。これまでの長編や映画、普段の『ドラえもん』において、ドラえもんは「子守りロボット」や「ひみつ道具を出してくれるべんりな生き物」ではなく、「のび太の親友」として描かれています。(個人的には『ブリキの迷宮』が1番グッときました。短編だと『さよならドラえもん』が最も有名でしょうか。F先生の原作ではありませんが、最近だと、『スタンド・バイ・ミードラえもん』や『のび太のひみつ道具博物館』がかなり顕著ですね。)

これまで『ドラえもん』を見てきたファンにとっては、のび太が友達について語るシーンで、その向こうにドラえもんの面影やそれにまつわるエピソードを感じることができて、なかなかエモかったのではないかと思います。

ところで、『ドラえもん』の友情観って、かなり独特なんですよね。のび太ドラえもんの関係は、保護者と被保護者のようなものから始まり、やがて兄弟のような、なくてはならない親友のような関係になりました。『STAND BY ME ドラえもん』の主題歌『ひまわりの約束』には、『ドラえもん』における友情観がかなり凝縮されていると感じます。ドラえもんのび太の関係を紐解いてみると、今回の映画はより面白くなるように思います。

 

『映画ドラえもん のび太の月面探査記』に込められた『ドラえもん』愛

 

ここで、「友情」と「想像力」が繋がってきます。(もちろん、ルカくんたちエスパルとのび太くんを友情で繋いだのものび太の想像力ですが、)ドラえもん自体が人間の(そして、F先生の)想像力の化身であり、未来だからです。ドラえもんが「人類の未来は異説が切り拓いてきた」と言っていた通り、人類の全ての発見や発明は、もともとは数多の想像から生まれてきたものでしょう。

ドラえもん』は、作品自体がF先生の想像力の化身であり、夢のある明るい未来を想像して描くことで、作品が始まって半世紀ほど経った今でも、たくさんの子どもたちに想像力を与えている素敵な作品です。

私たちにとって、ドラえもんが生まれた22世紀は「すこし ふしぎ」な、完全なる想像の世界であり、F先生の手によって描かれた明るく楽しい"未来"です。

F先生の想像力が22世紀の未来やドラえもんをつくり、破壊に逃げずに異説を切り拓いてきた人々の手によって、ひみつ道具ドラえもんがつくられているんです。つまり、のび太ドラえもんの出会いも、想像力の集約といえるでしょう。

この「想像力(未来)」と「友情(出会い)」を繋げる構成は、大のF先生ファンだという辻村深月さんから、F先生への愛のこもったメッセージなのではないかと思いました。考えすぎでしょうか。

 

浮かぶ空想から、また未来が生まれる

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一度、今年の映画『月面探査記』から話を逸らします。

昨年の映画『のび太の宝島』の主題歌である、星野源さんの『ドラえもん』という曲についてです。

個人的に、星野源さんと辻村深月さんのF先生(ドラえもん)解釈がかなり一致しているのではないかと思うのです。

歌詞を載せられないのが残念です。YouTubeに公式の映像がありますし、歌詞も検索すると出てきますので、ぜひ読んでみてください。

 

この曲、全体的に『ドラえもん』への愛に溢れていて好きだし、「すこし ふしぎ」の解釈や友情感もかなり私の解釈と合致するんですよね。

 

「浮かぶ空想からまた未来が生まれる だからここにおいでよ 一緒に冒険しよう」

 

こことか特に、『月面探査記』では!?今回の主題歌がこれだったら最高だったのになと思わなくもないです。

 

『月面探査記』は、往年の『ドラえもん』ファンにこそ愛される作品

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前回のブログで書いたように、今回の『月面探査記』は『ドラえもん』作品としてかなりの出来でしたし、SFとしても一貫していてとても優秀な作品でした。生まれてこのかた、F先生の『ドラえもん』とはテイストが全く異なるオリジナル作品やリメイク作品しか劇場で目にしたことがなかったので、はじめての新鮮な感覚に戸惑うほどです。辻村さんに心から感謝と声援を送ります。

無理矢理感動させにいって泣ける物語をつくり、名作と呼ばれることは多いですが、そうじゃないのになんだかこころが暖かくなる、ドラえもんらしい素敵な映画でした。

 

ここからは、個人的に感動したポイントを語るコーナーです。箇条書きで書いちゃいますね。

 

『月面探査記』の感動ポイント

・月見台小学校にのび太が駆け込んで行くシーン

イチョウの舞い方が美しい!3Dワークを使用しているのでしょうか。映画ドラえもんの作画には毎回脱帽しますが、今回もイチョウや紅葉が舞うシーン、大量のムービットたちのシーンなど、背景がヌルヌル動いていて、もはや感動的なほどに素晴らしい作画でした。どれだけ時間をかけたらこうなるんですか?

 

・子どもたちが「月面探査機に映った白い影は何か」について語るシーン

非常に好きです。これも想像力、ですね。のび太が先生に叱られてからの「ドラえも〜ん!」というお約束の導入も胸がくすぐられました。あと、コミックスでなんか見たことがあるキャラクターたちがチラホラ…。個人的に多目くんはうれしかった!

 

・オープニング

永遠に見てたいほど素敵ですね!昨年はオープニングがなくて残念に思っていたので、復活して非常にうれしかったです。オープニングとしては文句なく過去最高の出来では?オープニングだけでもいいからはやく円盤化してほしいです。あと、平安美女しずかちゃんめちゃくちゃかわいい。

 

のび太くんをドラえもんが馬鹿にするシーン

お約束!原作のドラえもんはかなりシビアで淡泊でシュールじゃないですか。そんなドラえもんが大好きなので、そういうとこを全面に押し出した大長編も見てみたいですね。

 

ドラえもんの解説シーン

地球の自転と公転とか、科学のしっかりした説明が省かれてないところにF先生を感じました!子どもたちに見せるものであることを意識して、そういうところにも手を抜かなかったF先生が大好きなんです。科学ではないけれど、新日本誕生で原作にあった神隠しの実例が省かれていたことはかなり残念でした。すこしふしぎ、だけでなく、純粋なサイエンスフィクションとしてのSFっぽさもあって、かなり重要なシーンなんじゃないかなと思います。あと、異説クラブメンバーズバッジのところの効果音というかバックミュージックというか、かなり好きでした。サントラ買おうかな。なんか少しドラクエ感ありましたね。

 

・月の国を作るシーン

すごいな、と思ったのは、この月の国がルカくんたちとは直接関係してこないことです。オリジナル作品は、のび太たちが全く知らない場所に直接行くタイプのものが多いので。(南極カチコチ大冒険はそうではありませんでしたが)ここには雲の王国みを感じました。実際、①地球②かぐや星関連のどちらにも属さないぽっと出のこの国が最終的にルカくんたちを救うことになるのは感動的ですよね。

 

のび太がうさぎ怪獣みたいなバケモノをつくるシーン

これもある意味お約束。ここは後々襲われるという展開が見えたのも個人的にめちゃくちゃおもしろかったです。

 

・「月の世界のアダムとイブだね。」

←このセリフ!!!!!!!!!!!!すごくF先生っぽい!!!!!!!!!!聖書などの前提知識がないと理解できない、子ども向けアニメとは思えない感じ!!!!!!!!!!!このセリフを聞いたとき、映画スタートから薄々感じてた「これは『ドラえもん』だ!」を確信しましたね⋅⋅⋅。

 

・ルカくん登場シーン

綺麗すぎる。ルカくんの設定、すごいですよね。宇宙に11人しかいないエスパルの1人で、超能力が使えて、暗い過去があって、何者かに追われてて、不老不死で、うさ耳って⋅⋅⋅。小説版には精神も成長しない、みたいな設定もあったし、エスパルの両親の想いや、不老不死であることなどに関して映画版よりも複雑な心情が描かれていたので必見です。

後に語られますが、「月からずっと見てた」地球の風を感じていたと思うとジーンとくるシーンです。かぐや星もきっと昔はこんな星だったのでしょう。

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・お月見シーン

ドラえもんが完全に野比家の一員で泣いてしまった。ドラえもんがパパママと仲良さげに会話するの、すごく好きです。受け入れられてる感、いい。それにしてもパパママ、懐が深すぎます。そして、月を感じるシーンとしてもうまく機能していました。ずっと昔から、人類は月を見上げてきた。初期の宣伝文句の「ともだち歴、46億年。」を思い出します。

 

・ルカくん転校のシーン

ジャイアンスネ夫が相変わらずいたずらっ子で笑いました。小学生ですね。のび太をからかってうさぎのダンスを踊るシーンも。

 

・ルカくんが走るシーン

小説版においては後のある決心につながる重要なものとなっています。小説版⋅⋅⋅読もうね!

 

・ルカくんがのび太を見つけるシーン

「あの子なら⋅⋅⋅(月のコロニーを信じてくれるかも?)」というところ。ルカくんが「友達」という概念を知らなかったことを考えると、直訳すれば「あの子なら、僕と友達になってくれるかも」ということなんでしょうね。1000年も月にいて、無意識に寂しかったんだろうなぁ。

 

・ムービットたちの国

のび太ドラえもんが作った生命が自由意思で国みたいなのを作って、家族を形成してるのなんかめっちゃ好きなんですよね。子どもと奥さんを守るムービット、可愛い。ノビット可愛いし、最初かわれていたあべこべ道具が解決の糸口になるところはさすがだなと思いました。月の王国もかなり素敵!子どもたちが「あったらいいな」と思えるような可愛らしい国で、私も行きたくなってしまいました。

 

のび太の部屋に忍び込むルカくん

なんかかわいい。モゾ、かなりいいキャラクターですよね。ドラえもんのマスコットキャラの中では1番好きかもしれません。ところどころ童話がモチーフになっているところもドラえもんらしさだと思います。今回は『かぐや姫』に『ウサギとカメ』と、盛りだくさんでした。ママがのび太におやつを用意して待っていましたが、最後の方のルカくんのセリフ「準備⋅⋅⋅のび太のおやつと一緒だね!」につながると思うと深いシーンです。ルカくんが抱えていたわだかまりが溶けるシーンの補助になる重大シーンの1つですね。

 

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この辺で、観ている側としても「ルカくんは一体何者なんだ⋅⋅⋅!?」という気持ちがかなり強くなってきたのでは。個人的には、空き地で「ぼくもつれてってよ」とのび太に声をかけるルカくんのシーンで最高潮でした。ゴダートとかエスパルとか、何の説明もないのに出てきてわけわからんやったわ。

 

・月の国へ

のび太がルカの手をひっぱってるのかわいい!

ドラえもんが神として崇められるのもそこそこ定番ですね(笑)。うさぎ王国のシーンかわいいよー!おなじみ合唱シーン。そそれそれそらうさぎのダンス、頭から離れないです笑

 

ジャイアンの俺様シーン

スネ夫をぶんなぐるところですね。映画のジャイアンは普段と違ってかっこいいと言われがちですが、個人的には、ジャイアンはいつもの通り自分勝手だけど、信念が強いので、映画版だとそれがかっこよく見えるだけだと思うんです。そんなジャイアンの性格がよく見えるシーンで、個人的にはお気に入り。

 

ドラえもんが異説クラブメンバーズバッジについて解説するシーン

うさぎ怪獣が突入するシーンもタイミング完璧!ルカくんはここに残ってて、と言ってムービットたちを助けに入る5人、かなり手慣れていますね。やはり季節が秋なのは関係してそう。こんな中でも、のび太がノビットを1人で助けにいくところ、とてものび太らしくて好きです。のび太、長編で離脱しがちだよね。

 

・ノビットを助けに行くのび太

のび太は、どれだけ無謀でも、友達を助けに行く勇気を持っています。そういうところが本当に好きです。いつかドラえもんも言っていましたが、勉強も運動も何をやらせてもダメだけど、いいやつなんですよね。

 

のび太のバッジが外れるところ

無音演出めっちゃ鳥肌立ちました。もう子ども向け映画じゃないよこんなの。

 

・わすれろ草のシーン

しずかちゃん、すごくかっこいい!さすがの勇気と行動力と強さです。しずかちゃんは往々にして完璧で、憧れます。これからはみんなと仲良くしなきゃダメよ、というセリフにもしびれました。いつも思うけど、ドラえもんよりひみつ道具を使いこなしてますよね。

 

ドラえもんが「壊れてお詫びします」と自分を破壊しようとするところ

想像を諦めて破壊に行ってるのを体現してて笑いました。ドラちゃんかわいいよ。このシーン、GIF画像とかで欲しいです。足元に気をつけてって言って自分がコケるとこもね(笑)!本当にポンコツ!すき!

 

エスパルのコロニーへ

ここでやっとルカくんたちの正体を知ります。ルナちゃんやアルも登場。この時点で映画開始から大体半分くらいですかね?ドラえもん映画にしては結構後半の登場なんじゃないでしょうか。ルナちゃん美少女。登場シーンでスネ夫が照れてジャイアンの後ろに隠れてるの超かわいい。さっきからかわいいしか言ってない。個人的に、赤髪でほほを染めているエスパルがとても好み。あと、アルの舌足らずな話し方、好きです。

 

のび太、家族について語る。

ドラえもんのこういうところについては賛否両論あるだろうなーと宝島のときも思ってました。無条件で家族を神聖視できるのは、のび太はたまたまいい両親に恵まれたからかもしれません。でも、小学生ののび太の率直な家族観にほっこりしてしまいます。世界中、そんな幸せな家族だらけになるといいですね。それはそれとして、ルカくんたちの気持ちに寄り添うのび太、かなり主人公感出てました。

 

・しずかちゃんが「のび太さんの想像力がこの出会いを生んだのよ」みたいなこと言うシーン

まじで女神か何かかと思った⋅⋅⋅。映画のしずかちゃんは本当に強くて憧れます。

 

・月面レースのシーン!!!

何もかも好き!!!!!ここだけ見に劇場通えるレベル!!!!!!!このシーンは、のび太とルカくん、アルとジャイアンスネ夫が友情を感じるシーンであり、ノビットのあべこべ道具紹介シーンでもあり、モゾが超可愛いシーンでもあり、盛りだくさんです。のび太とルカくんのターン、最初らへんでかいたように、のび太の友達観を知ることができて大変貴重でした。この映画、のび太くん全然成長しないんですよね。最初から完成した人物として描かれてる。のび太くんに感化されてルカくんたちが動いていくところ、往年のドラえもんファンとしては涙が出そうでした。アルが超能力を使うシーンの表現力はさすがです。あと、なんでもないことですが、こういうときにドラえもんがしずかちゃんと組むの尊くないですか?気遣いが垣間見えるぞ〜!

 

・ゴダートたちから逃げるシーン

ルカくんがルナちゃんを助けに戻れないようにエーテルでレースカーを操作するシーンや、「友達だからさ!」って言ってどこでもドアを閉めるシーン、直前にのび太から得た友達観をヒントに行動してるのだとしたらかなり切ないですね。問答無用でいいシーンでした。

 

・気球に集まるシーン

話題になった映画ポスターの場面ですね。みんなかっこいい!スネ夫って、1番一般的な考え方を持ってる子だ思います。普通、帰ってこれないことを知ってて、会ってちょでとの友達を助けに行く人なんてほとんどいませんよ。のび太としずかちゃんとジャイアンドラえもんはかなり正義感マシマシなので、この辺ブレずに人間らしいスネ夫が大好きです。映画ポスターにあったように、「大人のふりが上手い人が大人なだけだよ。」とここで考えていたのだとすれば、それこそ少年らしい葛藤が垣間見えてなんかいいですね。ぼくは愛を信じる、って言ってましたし、ルカちゃんが原動力になってたと思うとぐっとくる。このシーンで月が見えるのも素敵な演出です。

 

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・しずかちゃんのお風呂シーン

ノルマ達成って感じした。

 

・かぐや星に向けて出発だ

しずかちゃんが人の手当を任せられて危ないところから遠ざけられるのに、結果的に超重要な役割を果たすところ、F先生のヒロイン観を感じてかなり好きです。『鉄人兵団』や『日本誕生』でも見たなあ。「さすがドラちゃんの道具ね!」もお決まりのセリフですね。

 

・ゴダートとルカくん関連

⋅⋅⋅なんと言ったらいいのかわかりませんが、ルカくんの気持ちを考えると色々複雑でした。書いてるとおそらくめちゃくちゃ長くなるので割愛しますし、小説版に詳しいのでとりあえず読んでください。(n回目)ルカくんの声優さんの表現力が本当にすごいなあ、とだけ言っておきます。

 

・ディアパレスのデザイン

すごく好き。平安時代じゃん。これに関してはドラえもんは特に関係なく、個人的に平安時代が大好きなのでとても嬉しかったです。かぐや星の廃墟感もすごい。ドラえもん、たぬきになっとるやん。

 

・ゲスト声優

非本業声優枠の中では、お笑いタレントの2人が上手でした。のび太のパンツとかが脱げる間抜けなシーン、いい清涼剤になってたと思います。難しめの話で全体的に子ども向けという感じがしませんでしたが、ここは子どもたちみんな笑ってたよ。やっぱり今の子どもたちに未来への希望や想像を与えるのが『ドラえもん』のいちばんの役割だと思うので、子どもたちが楽しめるのは嬉しいです。

 

・しずかちゃんなんでバッジ外して喋れるん?

ていうか、『鉄人兵団』のときもそうですが、しずかちゃん天才ですよね。ただただ頭と要領がいい。永遠のヒロインです。

 

ジャイアンスネ夫

スネ夫ジャイアンの戦闘における「ここは俺が抑えとくから!」ポジションめっっっちゃ好きです。スネ夫、こういうとこでもちょこちょこ人間らしさが垣間見えてていい。ジャイアンは本当にいつも通りですね。

 

ディアボロの正体

ディアボロがAIで、想像を諦めた人々の手による破壊の化身とは⋅⋅⋅!『ブリキの迷宮』かよ⋅⋅⋅!?ドラえもんというロボットが主人公でありながら、機械が悪役になることがあるドラえもん、一歩間違えたらだいぶブラックですよね。大体は「ドラえもんのび太の親友ポジション」という落としどころがあるのも本当によくできてるなあと思います。

 

・最期の言葉

これみんな言うと思うんですが、のび太が「オシシ仮面の最終回まだ読んでないよー!」っていうところ、とてつもなく"のび太"ですよね。スネ夫のママーー!!!もそうですけど。こんな時でものび太のび太だなあ、と思います。

 

・戦闘

いつもの!おなじみ!わちゃわちゃ戦闘シーン!かなり明るい戦闘シーンで、未来を感じられて私は好きです。しずかちゃんまじ女神。ムービット可愛すぎん?

一段落ついたあとで敵が覚醒するのもお決まりですよね。のび太とルカくんの共闘、エスパルたちの必死さ、助ける対象にルナちゃんだけでなく地球も含まれることを考えると感動しました。のび太たちは何回地球を救うんですかね。今のところ少なくとも39回かな?(笑)

 

・解決シーン

桃太郎印のきびだんご、ドラえもんファンなら言うことを聞かない動物に対して真っ先に使いたくなる道具ですよね。それが冒頭で品切れしてて、最初に忘れろ草が使われたところ、上手いなと思いました。ピッカリゴケについても同じく。ルカくんたちがずっと気がかりにしてた両親のこと、1000年も時が経ってしまったけれど、その想いを知ることができて本当に良かったなあと思います。

ここでルカくんたちがかぐや星に残らないところには、F先生っぽさというよりも辻村さんっぽさを感じました。小説版では以下略。結局は月に住むというところも、「のび太のおやつと一緒だね」につながる言葉も、心に染みました。ルカくん、良かったね⋅⋅⋅。

 

・異説で始まり、異説で終わる物語

構成の素晴らしさに脱帽です。不老不死を羨ましがるスネ夫らしい言葉も、限りある命だから頑張れるというルカくんの言葉も、魂がこもっていたと思います。小説版にある、地球でかけっこするシーン、映画でも見たかったなあ。

 

・別れのシーン

別れを切り出すドラえもんと、素直にそれを受け入れるのび太⋅⋅⋅。他の長編と比べて最ものび太の成長を感じたのはこのシーンです。ルカくんに「楽しかったね」と語りかけるのび太、大人。。。!のんびりとしていて、優しくて、バッジをなくしたとしても「きっとまた会える」、「いつか月と地球が当たり前に行き来できる日がきっと来る」と信じる純粋さに惹かれました。

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いいシーンですよね。

 

・バッジを埋めるシーン

昼空に浮かぶ白い月。いつかの再開を期待させるような、素敵なシーンでした。わたしも、彼らが成長してまた出会えることを信じています。

 

改めて、素敵なSF映画でした。ありがとうございます。

 

 『月面探査記』、何回でも見に行きたい…!

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驚くほど全く関係ないんですが、レイトショーを見に行こうとしてギリギリ間に合わなかったことがあって、そのときムシャクシャした勢いでクレーンゲームやったらさくらドラえもんゲットしました。大きくて可愛いです。大事にします。

 

好きな映画の動員数を気にするオタク

ところで、今回の映画、1週目終了時点では『宝島』よりも動員数が少ないです。

 

この原因として、

 

・いつもは6月頃にタイトルを発表し、そこからガンガン宣伝をしていたが、今回はタイトル発表が10月までずれ込み、宣伝をする期間が短かった。

・昨年に関しては、星野源さんの楽曲『ドラえもん』による動員数のブーストが少なからずかかっていた。

 

ことが挙げられるでしょう。ゲスト声優、ましてや本屋大賞直木賞を受賞し一般的な知名度が高い辻村さんが脚本を担当したことによる影響はあり得ませんし、初動においては内容も関係してこないので、この2点が大きいと思います。実際、Googleの口コミによるこの映画の高評価は3月10日現在94%で、昨年の91%や一昨年の87%を上回っています。

 

個人的には、今後も辻村さんに脚本を担当してほしいほど(人気作家さんなのであり得ないですが)素晴らしい映画だと思っていますので、これから伸びていけばいいなと考えています。

 

(リニューアル後1番好きな『鉄人兵団 はばたけ天使たち』は、東日本大震災の影響もありますが、かなり動員数が落ち込んでてショックでした⋅⋅⋅。)

 

 来年の『映画ドラえもん』も楽しみ!!

来年の映画予告出ましたね!来年は記念すべき映画40作目です。

『人魚大海戦』から10年も経つんですね⋅⋅⋅。

記念すべき40作目は、30作目の『人魚大海戦』がオリジナルだったことを考えると、またオリジナルである可能性もありますが、もしそうでないとすれば、『竜の騎士』リメイクでしょうか。

昨年と一昨年の動向を考えると、また人気作家さんによるオリジナルの可能性は捨てきれませんし、それも楽しみではありますが⋅⋅⋅、久しぶりにリメイクも見てみたいです。

 

予告の段階から3Dワークを使用したダイナミックな作画で期待が持てそうですね。とても楽しみです。今回は宣伝いつからになるんでしょうか?2010年代後半の興行収入は目覚ましいものがありますし、汚い話お金はたくさんあると思うので、全力でやってほしいです。(謎の上から目線)

 

最後に。

『ブリキの迷宮』のリメイク、いつまでも待ってます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 以上、『月面探査記』の感想でした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は、前回「次は舞台挨拶感想」と言っていたのにまだ書いていないので、そのへんに触れつつ『月面探査記』のもう少し深いところまで言及できたらなと思います。

レイトショーが都内でははやくも終わってしまってさみしいです。

それでは。

 

『月面探査記』感想※ネタバレなし

映画ドラえもんのび太の月面探査記、公開されましたね!

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公開2日目ですが、既に2回見ました。1回目はドラえもんのビジュアルの可愛さに気を取られて正直ほとんど内容が頭に入ってこないので、2回見てやっと感情が追いついてきた感じがします。

とりあえず、シリーズ39作目となる今回のドラえもん映画『月面探査記』について、ネタバレなしの感想を書かせていただきます。

まだ感情がやっと追いついたくらいの人が書いてるので、信憑性は多分低いです。

 

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【子ども視点から見ると】

かなり難しい内容だったのではないでしょうか。中盤以降いきなり大人向けな内容になってましたね。5歳児が立派なターゲット層であると考えると不適切なレベルでした。内容の難しさをバトルシーンの単純さで多少隠したのかな。小説版も読みましたが、心情描写かなり削ってましたね。冷静に考えて5歳児に辻村深月の心情描写は厳しいところがあるかな⋅⋅⋅。あと普段より多少長かった?のかな?

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【一般的な視点から見ると】

ルカくんイケメンすぎて泣いちゃった。しずかちゃん女神か? 

かぐや姫がモチーフになった世界や、キーワードの「想像力」を存分に活かしたストーリー構成、そしていつもどおりのバケモン作画は完璧でした。考察しがいがある綺麗なお話だったと思います。感動できるシーンもありました。

でもこれ、多分去年の『のび太の宝島』のほうが一般受けするのでは。あれめっちゃお涙頂戴だったもんね。

前半とバトル後の心情描写が素晴らしく、泣いている大人も劇場にたくさんいましたが、バトルシーンにドラえもん特有のダサさと突発さがあったのと、登場人物があまりにも純粋で単純明快な心を持っているのは、心が汚れた大人にはシュールに映ると思います。

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ドラえもんオタクから見ると】

辻村深月さんのF先生愛に脱帽しました。最高です。

私は1998年生まれなので、F先生の作品が夜に出る瞬間を見たことがありません。その興奮を他のFファンと味わったことがないんです。毎年出る映画については、リメイク作品はワクワク感に欠けるし、オリジナル作品は良くも悪くも「他の人が描いたなあ」という感じでした。

正直、今回の作品は『凍りのくじら』などで既にドラえもん、というかF先生の大ファンと公言している辻村深月先生が描くということで、発表当初から期待していました。

いざ観てみるとやはりF先生とはちょっとちがう、先生に比べると寂寥感と雑さが足りないなぁ、とは思ったけれど、今の時代の今の子どもたちに合った、素敵な作品でした。

F先生再現度は過去最高なんじゃないでしょうか。ありがとう!この時代に生きててよかったぜ!リアルタイム史上最高の気持ちです!さあファンのみんな!おれといっしょに祭りさわぎしよう!

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ここで、『F先生らしさ』を考えるために、過去39作のドラえもん映画の超雑な考察をお送りします。実はFamilyMartでトラブルがあって店頭で2時間立って待たされたのですが、その間に書いたメモなので、なんかおかしかったらすいません。

 

・作品のテーマについて

2006年の新声優による「恐竜」以降、作品テーマに「友情」が強調されるようになりました。のび太たちが住む世界と、何らかの「別世界」を往復して話が進行するスタイルは変わらず、別世界で出会った友達と出会い、別れる構図もそのままですが、より別れの部分が強調されるようになったと思います。リメイク作品の鉄人兵団でピッポが追加されたことはその象徴かと。そもそもメインの5人は原作だともっとサバサバした性格です。

 

・39作を通して、のび太は一貫して優しく諦めない人物として描かれており、毎回最後には別れを乗り越える描写もありますが、性格的には全く成長せず、むしろのび太を通じたゲストキャラの成長が強く描かれています。


・映画において、しずかちゃんは非の打ち所がない人物であることが多いです。ドラえもんよりもひみつ道具に熟知しており、ピンチの時はほぼ必ず覚醒します。


・逆に、しずかちゃん以外のキャラは、しずかちゃんやゲストキャラを危険から遠ざける傾向にあります。結果、しずかちゃんはゲストキャラの看病を請け負うことが多くなり、物語の重要なシーンに居合わせる可能性が高いです、

 

・映画におけるしずかちゃんは「優しさ」がかなり強調されています。しずかちゃんの優しさで事件が解決することも割と多いです。


・逆にスネ夫は情けなさが強調されていますが、そのためか、ゲストキャラ同様、1作の中でかなりの成長を見せるキャラクターとして描かれています。

 

ジャイアンの性格が変わる、という定説がありますが、ジャイアンは長編以外とほとんど性格が変化していないと思います。やると決めたことをやる、絶対に曲げない、気に入らないやつはふっ飛ばすという性格が、長編のストーリーではかっこよく見えるのだと思います。


ドラえもんはいつもと変わらずポンコツです。長編では、ゲストキャラの心を動かす役割が与えられているのはのび太またはしずかです。ドラえもんの立ち位置は、「窘め役」「道具を出す役」「囚われ役」「単にのび太の友人」のいずれかです。サブタイトルに必ず「のび太」が入っていることからも、長編ではのび太が主人公となっていることがわかります。

 

・大長編には、必ず「新しい仲間」「(最初期を除き)マスコットキャラクター」が登場します。また、舞台は東京都練馬区以外で、一般的な地球人がメインキャラ以外に存在しない場所です。現在の日本が冒険の舞台となるのは、「鉄人兵団」が最初で最後です。なお、鉄人兵団も鏡の世界なので厳密には

異世界です。


・「ひみつ道具博物館」を例外として、絶対悪が存在します。なお上記の長編はF先生の原作ではありません。


・1つのひみつ道具が起点となり、話が展開していきます。「あるひみつ道具を起点として異世界へ行き」「ジャイアンスネ夫、しずかを誘い」「ゲストキャラと親交を深め」(なお

ゲストキャラと親交を深めるシーンは、具体的なエピソードだけでなく、ある異世界の紹介的なダイジェストシーンも合わせて描かれます)「絶対悪が登場し」「絶対悪を倒して」「ゲストキャラと別れる」のが基本的な構成となっています。


長編映画中で最も多く使用されているのは武田鉄矢の楽曲です。(これはあまり関係ない)

 

のび太くんは、映画中盤で一時的に離脱し、単独行動をすることが多いです。

 

・前述したとおり、長編におけるのび太としずかは絶対的な存在であり、ゲストキャラ、(ジャイアン)、スネ夫が主に成長します。


・ゲストキャラは壊滅的な危機に晒されており、彼らと親交を深めながら危機を解決するのが定石です。


ドラえもんは教育的かつ説明的なセリフが普段と比べるとかなり多くなります。

 

・F先生の原作通りでは子ども向きの作品とは言い難いものもあり、映画では友情が強調されることにより対象年齢を下げているように感じます。


ドラえもんが歴史的・科学的な根拠がある事実を語るシーンは、映画化する際に原作から削られていることも多いです。


・F先生以外が原作の場合、ドラえもんの説明的なセリフは激減します。

 

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改めて、今回の映画についてです。


・脚本の辻村さんがF先生のファンだということは有名ですが、さすが!オリジナル作品ではかつてないレベルの再現度でした。


のび太、しずかは絶対的な存在で、ドラえもんはある意味添え物、ジャイアンはいつも通り傲慢だけどなんとなくかっこよくて、スネ夫は惚れっぽくて情けない。正直例の『奇跡の島』や『ひみつ道具博物館』では、スタッフと自分の中のキャラクターたちの面影に壊滅的な解釈違いを覚えつつ、これも新しい時代だから我慢しないといけないのか⋅⋅⋅と涙をのんでいましたが、やっぱり間違えてなかったんですね!F先生が同じストーリーラインを与えられてセリフだけ書けって言われたら、多分ほとんど同じセリフを書いていたと思います。特にしずかちゃん関連。F先生は女の子を丁寧に書くし、物語の登場人物には特別扱いさせるのに、物語には特別扱いしないんです(伝われ)。しずかちゃん、かっこよかった!

 

ドラえもんの説明的セリフの多さ、子どもが見ることを意識した道徳的内容の方向性や歴史的事実への言及がF先生を意識したつくりになっていた。F先生は子どもを大切に思っていて、だからこそ現在の実在する科学や歴史をベースに用いることが多かったんです。それがすごく自然にできていて感動しました。


ドラえもん作中でファンならどこかで聞いたことがあるセリフが多い。しびれる!


・F先生以外の原作で忘れられがちだった「起点となるひみつ道具」が『異説クラブメンバーズバッジ』というもので固定されている。


そして、今回おそらく見比べたファンが多いであろう作品が「のび太の鉄人兵団」です。正直「鉄人兵団」と比べると様々な面で劣る作品ではありましたが、作品のストーリーラインの構成、メインキャラクターの立ち位置、作品テーマが「鉄人兵団」をかなり意識していたように感じます。ゲストキャラクターの立ち位置は宇宙開拓とか魔法使いあたりだと思う。

 

・自分たちの世界と、異世界を行き来しながら冒険するドラえもん大長編の醍醐味、完全に再現されていました。

救われるんだけど、うまくいかないこともちょっとはある。そんな微妙な気持ち、F先生の既存作品とドラクエ以外ではじめてみました。

 

・寂寥感がありながらも、優しい別れが素敵でした。正直、この別れのシーンには、感動とともにある違和感がありました。これに関してはネタバレを含んでしまうので、別の機会に考察できればな、と思います。

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ここまで超褒め称えましたが、やっぱり後半は雑な部分が目立ってたかなと思います。バトルシーン酷くない?

ただ、それは小説版では全く違和感がなかったので、映画ドラえもんが完全な大人向けになることを恐れた監督がなんとかした結果じゃないかなと。F先生時代にもよくあった配慮です。ちなみに今回の八鍬監督、最近のドラえもん映画監督の中で1番信頼しています。今回も素敵な冒険をありがとうございました。

 

(一応補足しておきます。これまでのオリジナル作品を批判する気持ちは全くありません。むしろ、子どものことを考えて丁寧に作られた素敵な作品だったと思います。特に去年は興行収入が飛び抜けて高くなったことも納得の出来でした。)

 

小説版だと、ルカの最後の願いに至るまでの心情描写がもっと細かったので、補足が欲しい方は読んでみてください。

 

そして、この物語は、辻村深月先生からF先生へのメッセージでもあるんじゃないでしょうか。この辺もネタバレになるので、他の記事でまた考察します。

 

それにしても、ここまでF先生に寄せた作品作りをしてくれて、よかったんでしょうか。辻村深月先生の作品は好きで以前から読んでいますが、やはり作風が違いました。もっと彼女らしさ全開のドラえもんも機会があったら見てみたいです。この前の川村元気さんみたいな。

 

改めて、F先生ファンにとっては、待望の新作とも言えそうな『月面探査記」でした。

全然関係ない(ないのか?)ですが、今回舞台が秋でしたね!ドラえもんの大長編といえば初夏から夏休みという季節設定がずば抜けて多いと思うのですが、どうでしょうか?

単純に十五夜のシーン出したかっただけかな?それとも⋅⋅⋅(このへんもネタバレに以下略)

秋という季節が採用されたことに関して、めちゃくちゃ雑な感想を言っとくと、作画班お疲れ様!です。とても綺麗で楽しめました。個人的に秋はとても好きな季節なので、リニューアルドラのおもくそ美しい画面で見ることができて感無量です。 

 

ネタバレを含む考察も今すぐしたいのですが、最初に述べたとおり、まだ2回しか見ていなくて感情がやっと追いついてきたレベルのことしか言えないので、もう少し見てからにしようかな。

しばらく映画館に通います。 

次は、今日(公開2日目)にTOHOシネマズ六本木ヒルズで行われた舞台挨拶について書こうかと思います。気が向いたら読んでください。

 

初詣1

 

みなさん、初詣にはもう行かれましたか?もう1月も半ばですし、行ったよ、という方も多いのではないでしょうか。

 

私も2日に参詣しました。山口県防府天満宮です。

知らない人が大半だと思うので、少しご紹介を。

【】内自己満足なので読み飛ばしてください。

 

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防府天満宮は、菅原道真太宰府への左遷の際、周防三田尻港より本州から離れる最後のときに宿泊し、京への想いを馳せたとされる松崎に建立された、世界最古の天満宮です。

(見栄を張って世界最古と書きましたが、ご存知の通り天満宮は日本にしかありません。)

実は北野天満宮太宰府天満宮と並んで称される日本三大天神のひとつで、地元では最古としてかなり自慢の神社なのですが、当然のように地元以外では無名で悲しいですね。】

 

友達とは、JR防府駅で待ち合わせ、歩いて行くことにしていました。

3が日だというのに閑散とした商店街を横目に、表参道までの道のりはかなり不安だったのですが、まさかの大行列!参道いっぱいに人がいて、屋台もたくさん出ていました。

参拝の列もすごくて、これはかなり並ばなくちゃな⋅⋅⋅と腹を括ったのですが。

 

「並ぶのしんどいからへりから祈るのでよくね、神様寛容やし許してくれるやろ」

 

と、友達に言われまして⋅⋅⋅。寛容だからといって礼儀は尽くさないといけませんし⋅⋅⋅そもそも道真は神様じゃないですし⋅⋅⋅おすし⋅⋅⋅

でも、時間がないのも事実だったので、手短にすませてしまいました。どうでもいいけどおみくじは末吉でした。いつものことです。PS4狙いでふくびき付きおみくじをやりまくりましたが、普通にふりかけとかお菓子とかラーメンでした。美味しかったです。

 

その後は屋台めぐりをしたんですが、特に印象に残ったのがじゃがバターです。ほくほくのじゃがいもをすごい数詰めたせいろ、それだけでもじゃがいも好きの私にはたまりませんでしたが、そこにこれでもかというほど大量のバターをかけてくださって⋅⋅⋅めちゃくちゃ美味しかったです。ぶっちゃけバターの味しかせんやったけど。

 

太りました。 

 

f:id:A_mrvl_rus:20180117231858j:image無意味に続きます。

 

 

パスワードなくしてましたが

前回のブログを書いてすぐパスワードを失くしてしまいました。やっとそれが見つかったので、久しぶりに投稿してみようと思います。

 

この1年で、特に想いは変わっていません。都会には都会のいいところがあると理解した上で、私自身には田舎が合うなあと思っています。

ただ、このブログの方針は変えるかもしれません。色んな場所に行って、その場所の良さを伝えたいです。ただの旅ブログですね(笑)。もちろん、田舎の良さはテーマにするつもりです。

 

そもそも読む人おらんくない、これ?まあいいや。

 

今回は2回目にして特にネタがないので、以下は戯れのようなものです。

 

皆さん、霜を踏んだことはありますか。

雪が降りそうで降らない地域では、毎朝空き地に行くと霜が降りていて、踏むと小気味よい音がするので、小学生時代は、登校前、競うように空き地を歩き回っていたものです。そういえば、豪雪地帯でも霜を踏むことはできるのでしょうか。気になります。

こころあてに折らばや折らん、の歌は、百人一首にも選ばれ、あまりにも有名です。私もこの歌が大好きです。

和歌に詠まれたようなその情景をぜひとも写真に収めてみたいのですが、私の暮らした瀬戸内海は年中温暖で、なかなか真っ白に霜が降りるとはありません。

東京は底冷えして、毎日とても寒いです。肝心の空き地がありませんし、割とどこも舗装されてしまっているので、はっきりと霜が降りることはないだろうけれど、うっすらと雪が積もったら、それっぽい写真が撮れるかもしれません。

昨年もこのように、雪が降らないものかとずっとわくわくしていましたが、実際降ってみると寒すぎて外に出られなかったので、今回も機を逃してしまうかもしれませんね⋅⋅⋅(笑)まさか写真1枚も撮れないなんて⋅⋅⋅

一応、白菊の花は用意しておこうと思います。

 

最後にとてもどうでもいい情報ですが、このブログを風呂で書いてたら風呂が冷えて冷たくなってしまいました。すごく寒いです。一体私は何をしているんだろう。

 

以下、風呂の外がなお寒すぎて外に出る勇気がないため書いた蛇足です。

 

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かなり季節外れですが、昨年の春に庭に咲いた杏の花です。WBC準決勝で日本がアメリカに負けた日にむしゃくしゃして撮ったものです。

撮影シチュエーションは前述の通り最悪な気持ちでしたが、杏の花を見るととても和みました。

実は、ふるくから日本にあるにも関わらず、杏の花はほとんど和歌に詠まれていません。個人的に、冬の終わりを告げるのが杏の花、春の訪れを告げるのが桜の花だと解釈しているのでとても不思議です。同時期の梅の花が和歌の素材として優秀だからでしょうか。(マジレスすると”からもも”としてほんの数首登場しています。あくまでも唐の花であり、和歌の心を表現するにはふさわしくないということでしょう。)

杏の花は淡いピンク色で、とても甘い香りがします。冬の終わりに、ぜひご鑑賞なさってくたい。